横山大観記念館と下町風俗資料館
上野不忍池のほとりにある横山大観記念館に行ってきました。
実際に大観が住居とアトリエに使っていた家で、大観自身のデザインによる数寄屋風日本家屋だそうです。
庭園も手入れが行き届き、たくさんの大きな木々は年代を物語っていました。
家はたくさんの人が訪れたからでしょうか、床がベコベコしていて、屋根も傾いているところがあります。
しかし、窓の桟などは光の入り方などの工夫を大観自身が考えたオリジナリティーある貴重なものでした。
蓮が実をつけていました。
食べるとおいしいそうですが、まだ食べたことがありません。
同じく不忍池のほとりにある下町風俗資料館へ。
私が子供の頃もこういう井戸でした。
母はタライを使い洗濯板で洗濯をしていました。
こういう箪笥、我が家にもあった!丸いちゃぶ台も、丸い穴があいてる踏み台もあった!
足踏みミシン、母も使ってました。
テレビはもうちょっとちっちゃかった(^^;)
電話はそうね、ダイヤル式黒電話。
でも、今の家の近所のタバコ屋さんちは今でもこの黒電話ですよ。
これは洗い張り。
母がやってました。
古い着物をほどいて布を洗って糊付けして、また仕立て直してちゃんちゃんこにしたり布団を打ち直した時の生地にしていました。
昔は布地一枚買うのも布団を買うのも大変だったので、布は大切にしていました。
母は晩年になって生活が豊かになっても、古い服はほどいて、布地やファスナーやボタンを大切に保存してました。
貧乏性は抜けないんですね(^^;)
中央左よりに見える長い竹の棒。
これは洗濯物を竿にかけ上げ下ろしするためのものだけど、名前がわからず検索したら「竿あげ」だそうです。
で、現在も楽天で売ってました\(◎o◎)/!
今の素材はプラスチックと金属のようです。
母は背が低かったからこの竿あげを使って洗濯物を干してました。
やはり、昭和のなつかしいものをこうして見ると、母との思い出につながります。
母は今は施設にいますが、誤嚥性肺炎のため入院中です。
8月で96歳になりました。
横山大観記念館もそうだけど、長い時間の流れを感じます。
最後にトイレのご紹介。
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下町風俗資料館て、いつか入ろうとしたら休みだった( ̄▽ ̄;)あそこでしょうか。
中はこんな風になってるんですね。
昭和人間?としては、あるある〜、じゃなくて、あったあった〜モードに突入しますね。
ほんとに小さい頃は電話すらなかったから、連絡手段は手紙(緊急時は電報)だけ。
事故や事件、急病の時はどうしてたんだっけσ^_^;
と、今ふと考えてしまいました。
投稿: naoko | 2017年9月23日 (土) 18時51分
そうそう、以前入ろうとしたら休館日だった、あそこです(#^^#)
何を見ても「あ、これうちにもあった!これもあった!」ってなります。
我が家に電話が入ったのは私が高校を卒業してからという非常に遅いタイミングだったので、それ以前は隣の親戚の工場にある電話を借りに行ってました。
それでも、その借り電話が入ったのは私が小学校4年生の頃でしたから、それ以前は医者を呼びに雪の中を自転車で走った…などという体験談を父から聞いたことがあります。
投稿: なずな・まま | 2017年9月25日 (月) 07時13分